
東ティモールはご存知ですか?どこにあってどんな国なのか、基本情報をご紹介します。
東ティモールの基本情報とは
アジア(東南アジア)地域に位置する共和制国家。1999年8月30日、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年5月20日独立した
島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州(西ティモールを含む)である。
歴史や治安の面も見ていきましょう。
①東ティモールの歴史
1977年 インドネシア軍による包囲殲滅作戦展開。スハルト政権は東ティモールの抵抗に対し激しい弾圧を加えたため、特に占領直後から1980年代までに多くの人々が殺戮や飢餓により命を落とした。
1998年にインドネシアでの民主化運動でスハルト政権が崩壊すると、後任のハビビ大統領は東ティモールに関し特別自治権の付与を問う住民投票を実施する事で旧宗主国のポルトガルと同意した。
2008年の非常事態令も5月8日に解除されました。
国連によるUNMITは2009年も延長されたが、
同年3月には国家警察への権限移譲が開始され、混乱は徐々に収束しつつあります。
②東ティモールの政治
国家元首の大統領は、主として象徴的な役割を果たすにすぎないが、立法に対する拒否権をもつ。国民の選挙によって選ばれ、任期は5年。行政府の長である首相は、議会での選出後、大統領が任命する。現在は第3代大統領のタウル・マタン・ルアクが1期目を務めている。
全13県。国土の北部沿岸を中心とするディリ地方、島の東端部のバウカウ地方、国土の中央部のサメ地方、インドネシアとの境界線付近のマリアナ地方、飛び地であるオエクシ地方に大きくグループ分けされる
現在の治安はどうなっているでしょうか。
③治安
2011年には、コバリマ県において現職警察官が殺される事件が起きるなど、近年でも国境近辺地域の治安状況が不安定化する事案が発生しています。
貧困問題、若年層の失業問題は依然未解決のままであり、失業者の増加、経済の停滞等から政治的な緊張が高まり、突発的に騒乱等が発生するおそれは依然排除されませんので、治安状況には引き続き十分注意を払う必要があります。
国境付近は依然として注意が必要です。
外務省渡航注意情報では全土にレベル1・国境付近にレベル2の注意コードが出ていますので、
渡航に際しては今後も外務省の情報を確認しましょう。
④地理・通貨・言語など
高温多湿の熱帯性気候下だが、乾季と雨季の区別がある。 多数の動植物固有種が存在し、北部海岸にはサンゴ礁が発達する。
通貨に関してはアメリカドルによる通貨代替(英語版)(ドラリゼーション)が行われているが、補助通貨としてセンタボという単位の硬貨が流通している。
東南アジアではタイに次ぐ水準である。
2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、
1日2ドル未満で暮らす貧困層は77万人と推定されており、国民の過半数を占めています。
言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語であり、
現在は、マカサエ語(英語版)やファタルク語(英語版)などの
パプア諸語(トランスニューギニア語族)とテトゥン語や
マンバイ語(英語版)などのオーストロネシア語族が中心に話されています。
⑤国民・祝祭日・時差など
現在の日本と東ティモールとの時差はありません。
住民はメラネシア人が大部分である。その他華僑(客家)、印僑(インド系移民)、ハーフカスト(ポルトガル人とメラネシア人の混血)、ごく少数のカーボベルデなどアフリカ系の移民などが存在する。
3月〜4月 聖金曜日 イースター前の金曜日
3月〜4月 イースター 移動祝日
5月20日 独立記念日 2002年
8月15日 聖母被昇天祭
8月30日 住民投票記念日 1999年
9月20日 解放記念日 1999年のINTERFET(国連平和維持活動隊)による解放を記念
11月1日 諸聖人の日
11月12日 サンタクルス記念日 サンタクルス事件の日
12月8日 無原罪の御宿り
12月25日 クリスマス
治安が不安定な地域も依然としてありますので
外務省のHPも確認しながら渡航の可否を決定してください。
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